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千の風にはなりたくない [メッセージ]

 『わたしの父の家には住まいがたくさんあります。』(新約聖書・ヨハネの福音書14章2節)

 職場では一日中FMが流れている。すると何度も流れてくる歌がある。「千の風になって」が何度職場のスピーカーから流れてきたか知れない。昨年の紅白歌合戦で放送されて以来、反響を呼び、クラシック音楽としては初のオリコンチャート1位を獲得するという快挙を成し遂げたという。この歌にまつわるドキュメンタリー番組もオンエアされていた。
 この歌が多くの人の心を捉えた理由はなんだろうか?この歌に慰められた遺族がたくさんいたということだろう。幸いにして、私は両親も健在で、本当に身近な人との死別ということを、まだ経験していない。しかし、ほとんどの人が「遺族」という立場になる。それが人生だ。この歌のヒットの背景を、少し斜めから見てみるなら、慰められていなかった、慰めを求めていた遺族がたくさんいたということがいえるだろう。
 歌には大きな力があり、そして、歌が人を慰め、癒しているのであれば、それは素晴らしいことだと思う。
 風のように、いつも、気がつかないときも近くにいてくれると思うことが、愛する人を失った、たくさんの人たちを慰めたということだ。
 でも、ちょっと考えて欲しい。本気で想像してみて欲しい。自分が死んでから、千の風のように、この地上をさまようようなことを、本当に望むだろうか?そんな浮遊霊のようになることが良いことだろうか?本当に千の風になったら、いつまでも漂うだけの千の風になってしまったら、果てしなく虚しいことではないだろうか?私は千の風にはなりたくない。私の大切な人たちにも千の風になって欲しくない。
 「真の宗教は死後の問題を解決し、生きる意味を教える。」これは私の神学校の恩師の言葉だ。聖書は「父の家には住まいがたくさんある。」と約束し、キリストは「あなたがたのために場所を備えに行く」と言われた。私は千の風にはならない。父の家で、この地上で死別した大切な人たちと永遠に再会することが慰めである。
 


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